【大分県中津市】傘鉾(かさぼこ)|お鶴・市太郎伝説

【大分県中津市】傘鉾(かさぼこ)|お鶴・市太郎伝説 海外・国内旅行
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傘鉾(かさぼこ)

2018年8月25日(土)に大分県中津市の「傘鉾(かさぼこ)」を見に行ってきました。

花傘鉾が巡行する距離は30?40キロメートルあり、日本一長い距離を歩くお祭りとも言われています。

日本一長いお祭りの巡行=中津の傘鉾

中津

カサボコ

このお祭りには歴史があるので、ちょっとご説明しておきます。

お鶴・市太郎伝説(中津)

1135年(平安時代)、沖代(おきだい)平野の堤防が洪水により毎年決壊していました。

そこでこのあたりを収めていた7人の地頭の一人、湯屋弾正(ゆやだんじょう)が「井堰(堤防)は昔より人柱(神にいけにえとして生きた人を水や土に沈めること)を立てなければ難しいと言われている」と提案したそうです。

そこで7人は船に乗ります。誰が人柱となるかを決めるためです。

ルールは「袴を川に投げ、いちばん先に沈んだ袴の持ち主が人柱になる」です。

そこで地頭の7人が投げたところ、湯屋弾正(ゆやだんじょう)の袴がいちばんに沈んだことで、湯屋弾正(ゆやだんじょう)が人柱、つまり「いけにえ」になるこが決まりました。

そこで湯屋弾正(ゆやだんじょう)は断食をして、人柱になるために心身を清めていたそうです。

そこに家臣の布留野源兵衛重定の娘「」が「ご先祖よりの恩に報いるのはこの時」と身代わりを申し出ます。

その娘「鶴」の決意が固く、一歩も譲らない態度に湯屋弾正(ゆやだんじょう)は折れ、娘「鶴」とその子ども「市太郎」が人柱となることを受け入れます。

その後、娘「鶴」とその子ども「市太郎」は沐浴と断食を7日間したのち、白無垢(表裏白一色で仕立てた和服)を着て、輿に乗り、井堰(堤防)へ行き人柱となりました。

その後、大井手堰(おおいでせき)は領民の祈りを込めて強固に完成されました。

以来、洪水にも決壊することもなく、母子の霊は八幡神社に合祀され、八幡鶴市神社となったそうです。

こちらがお鶴と市太郎のお話になります。

場所はこちら

今から、883年前の話。

人柱」が存在したんですね。

【人柱】

人身御供の伝説の一つ。架橋,築堤,築城などの水利,土木工事技術が未発達の時代,柱の強化の目的で,生きている人間を水底や土中に埋めたこと。神の心をやわらげ,人身のもつ霊質が柱に乗移るようにするためといわれる。日本には人柱の伝説が多いが,実際に行われたかどうかは定かではない。 (→人身供犠 )

出典:「コトバンク

いや~、よくよく考えるとすごいことですね。。。

祭り(まつり)は奥深い

今回は、お鶴・市太郎伝説、中津の傘鉾についてでした。

ご興味あればぜひ一度見に行ってみてくださいね。

いまひろでした。

 

 

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