【恩師】楠原彰さん 國學院大學名誉教授|福岡県人権・同和教育夏期講座のレジュメ

【恩師】楠原彰さん 國學院大學名誉教授|福岡県人権・同和教育夏期講座のレジュメ ライフ
この記事は約7分で読めます。

こんにちは、いまひろです。

楠原彰さんをなぜ恩師と呼ばせて頂いてるか?について。

ぼくは学生の頃、むせび泣きながら聞いたことがありました。

「楠原さん、あなたは何のために生きているんですか?」って…

いまひろ
いまひろ

これ授業後の居酒屋ですねw

そんなときに誤魔化さず、茶化さず、沈黙の末に真面目な顔で答えて頂いたんです。

自分の可能性が愛おしいから生きるんです

この言葉は今でも宝ものです。

今回は学生時代に出会ったそんな恩師、楠原彰さんの20180808福岡県人権・同和教育夏期講座の貴重なレジュメをシェアさせて頂きます。

いまひろ
いまひろ

ぼくは仕事で参加できませんでしたが、やっぱり素敵なレジュメだったのでシェアさせて頂きます。

楠原彰さんの福岡県人権・同和教育夏期講座(2018/8/8)

楠原彰報告「それは人間であることと、なんの関係があるのか」

Quid haec ad humanitatem(Christum)?

― 人間(わたしとあなた)が「切なさ」と「オロカさ」から自由になるために ―

わたしたち人間は、互いに支え合い、依存しあわないと生きていけません。

そういう意味で私たち人間は、本質的に、関係的・共存的存在です。

一人ひとりの個性・固有性・独自性(私がかけがえのない私であり、あなたがかけがえのないあなたであるということ)も、この関係性(社会・世界と呼んでもよいでしょう)の中でのみ意味を持ち、はぐくまれます。

ところが今、私たち人間と人間のあいだの関係に、つまり、あなたと私の共存的・共生的関係のあいだに、効率・生産性・速さ・均質性・同調性・競争・優生や進歩の思想…などという、私たちの社会制度や暮らしが造りだした考えが、<時代や社会の要請>として、強く入り込んで、それらに合わない人間を、「例外者」(無用のモノ)や「少数者」(不可視のモノ)として、差別・排除・隔離・抹殺しても仕方がないという、恐ろしい空気(世論)を拡散させています。

人間と人間の分断、私とあなたの共存的関係の分断です。

関係の分断の中で、一人ひとりの個性や独自性は意味を失います。

社会の共存的関係から外された「例外者」や「少数者」は、固有の意思や希望や名前を持った、独自の歴史や経験を有する、<個的存在=個人>であることを奪われて、「障害者」・「難民」・「性的少数者」・「在日」・「部落民」・「非正規」…などと括られ、無視・差別・隔離、時には排除と憎悪の対象とみなされたりします。

*「あまりに被害者の背景やその人がどういう人なのかかがわからなくて、障害者が殺されたということで一括りにされてしまう。~そのことに悲しさを感じました。」(海老原宏美)『開けられたパンドラの箱』(月刊創編集部編、2018)

現代社会のように、格差がどんどん拡大し、貧困と孤立への恐怖が拡がっているとき、「例外者」や「少数者」の側に追いやられる不安、「『自分の辛さや不安を誰からもわかってもらえない』という被害者意識(杉田俊介『相模原障害者殺傷事件』2017、青土社)などは、「多数者」の側にいると思っている多くの「私たち」にもつねに存在しています。

「ヘイトクライム」(憎悪犯罪)や「ヘイト・グループ」(憎悪集団)が誕生する根は、日本でも、世界各地どこにでも今、存在しています。 「被害と加害のあいまいな境界(はざま)に置かれた人々の怨念(ルサンチマン)」(杉田;前掲)が世界中に満ちています。

*「保護者の疲れ切った表情、施設で働いている職員の生気に欠けた瞳、日本国と世界の為をと思い、居ても立っても居られずに本日行動に移した次第であります。

理由は世界経済の活性化、本格的な第三次大戦を未然に防ぐことができるかもしれないと考えたからです。

私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です。~障害者は不幸を作ることしかできません。」(植松聖被告が衆院議長を通じて安倍晋三氏に届けようとした手紙;2016/2/4付)

多くの人の助けを必要とする重い障害を持っている人、仕事や生活の不安、周囲の冷たい視線に怯える難民や外国人労働者、不安定な非正規労働で疲労困憊し、引きこもりがちな若者、…このような人たち(隣人)と向き合おうとするときに、私自身の中にも名状しがたいわだかまりが起こるときがあります。

「自分の負担(めんどくさい)を回避するための<生の線引き>」(杉田俊介)の感情が、時として、私自身の内面にも生まれることがあります。

切なく、オロカな私がそこにいます。

*「3度殺された。一度目は施設に入れられたとき、二度目は今回、犯人にころされた。そして3度目。被害者は名前も何も公表されず、社会的に殺された。」(藤原由美さん;脳性マヒ者)『生きている!殺すな』(2018、山吹書店)

過ちをいっぱい繰り返してきた人生の中で、私が気づいたことは、「わたし」との共存的関係を必要としている人、「わたし」の手助けを求めている人、「わたし」が目を塞ぐことができない人、そして「わたし自身」が依存しあいたい人…との、日常の関わり合い(関係)の中にしか、「わたし」が「あなたが」、「オロカさ」と「切なさ」から解放され、自由になる道筋はない、ということです。

日々の暮らしの<出会い・向き合い・関わり合い>の中で、「わたしとあなたは」、同時に少しづつ、人間として解き放たれ、自由になることができるのではないか、ということであります。(私の中の根深い他者差別・排除の意識と向き合い続けるためにも)

*To be human is to engage in relationships with others and the world.(Paulo Freire)

最後に、私の提案です。

1)子育てや、障害を持って生まれてきた人たちのケアを、決して個別の親や家族だけの責任にしない。人類の子ども、地域社会の子ども、地域社会の障害者、人類の難民、地域社会の難民・移民…というように考えてみる。

2)そのために、助けを必要とする障害者や難民との「出会い」・「向き合い」・「関わり合い」…―それぞれの事情と身の丈にあった出会い―を、自分の(私とあなたの)暮らしの中に、欠かせないものとする。それは、私自身が、あなた自身が、もう少し豊かな人間として生きるためにも欠かせない。

3)市民社会に生きる私たち一人ひとりが、「不満が生まれ、それが憎しみと暴力へと変わっていく場所と構造に、経済的に、社会的に介入する」(カロリン・エムケ『憎しみに抗って―不純なものへの賛歌』浅井晶子訳:2018)努力を、惜しまない。

まとめ:【恩師】楠原彰さん 國學院大學名誉教授|福岡県人権・同和教育夏期講座のレジュメ

楠原彰さんの名著『自立と共存』がおすすめですが絶版となっています。

下記もおすすめなので、読んでみてください。

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました